2012年2月14日火曜日
偶然と必然の振れ幅:【書評】完全なる証明ー100万ドルを拒否した天才数学者
完全なる証明
マーシャ・ガッセン 青木 薫
タイの古本屋で手に入れた本書。
2009年暮れに日本で販売され、その後誰かによってタイにわたり、今ベトナムにいる僕の手元にある。本書の主人公グリゴーリー・ペレルマン同様、数奇な運命をたどってきた。
本書「完全なる証明」を手に取ったのは様々な偶然が重なったから。「哲学的な何か、あと数学とか」を読んだ後、理系本とくに数学本に関心が一気に高まったこと。そして、たまたまのタイ小旅行で立ち寄った古本屋で偶然みかけたこと。それも、英語本と日本語本が乱雑に陳列された、失礼だが、こ汚い古本屋で。
偶然とは怖いもので、本書の主人公グレゴリー・ペレルマンもこの偶然にある意味人生を翻弄された一人。いや、偶然と必然の振れ幅の大きさに翻弄された言うべきだろうか。
本書はロシア人数学者ペレルマンがポアンカレ予想を証明し、本来受け取ることができたクレイ研究所からの懸賞金100万ドルを拒否するまでが描かれている。
ペレルマンの人生の偶然と必然の振れ幅は半端ないほど大きく振れる。まずは、ペレルマンの生まれ年という振れ幅。彼の生まれ年が前後に5年ずれただけでも、彼の数学者としての人生と偉業が説明つかなくなる。
彼は1966年にロシア系ユダヤ人の両親のもとに生まれた。これは20代の大学・大学院生時代を1985年半ばから1990年頃のソ連で迎えることができたことを意味する。元ゴルバチョフ大統領が提唱したペレストロイカ(再構築)が1985年。そして、エリツィン体制へ移行しロシアとなった1990年。
ペレルマンが5年早く生まれていたら、ソ連のイデオロギーと反ユダヤ政策のカベが彼の人生を邪魔しただろう。一方、5年遅く生まれていたら、ロシア経済の混乱が彼の研究生活を許さなかった。
この1966年生まれという”偶然”との振れ幅はペレルマンの人生と偉業に欠かすことのできない要素として作用する。
そして、もう1つの偶然との振れ幅は数学界の理想的行動様式と実社会の欲望。数学界は「才能があるものを、皆がもりたてなければいけない」というある意味理想郷のような行動様式を、ペレルマンに対して純粋に取る。自己の欲望と理想がうごめく実社会とは間逆の世界だ。
流儀を無視した行動の業績など、実社会は無視をする。これは実社会では至極当たり前だ。誰もがその業績を手に入れるため日夜努力しているのだから。しかし、数学界は流儀を無視した業績ですら、「才能があるものを、皆がもりたてる」を行動基準に、元来のルールを変更してまでも認めようとする。
研究論文誌での発表が基準とされた中で、インターネットで発表されたペレルマンの論文。それも、その論文に「何をやろうとしているのか、どんな方法で成し遂げたのか」さえ記載がない。しかし、4人もの当該分野の第一人者が2年もの歳月をかけて、その論文の解読から始まり検証を実施した数学界。おまけに賞金授与式に欠席したペレルマンに対し、彼の自宅まで行き賞金を受け取るよう依頼にまでするのだから。この数学界と実社会との理想と欲望との振れ幅に誰もが驚くであろう。
この数学界において、2人の例外が登場する。ポアンカレ予想の証明関連のテーマでフィールズ賞を受賞したマイケル・フリードマン氏と、ポアンカレ予想の証明まであと一歩と近づいていたリチャード・ハミルトン氏。彼ら二人はペレルマンの発表に対し、その検証へ協力もしなければ、賞賛すら送らなかった。実社会では至極当然と言えば、当然だ。自身が人生をかけて取り組んでいるテーマで、他人に先を越されたのだから。
しかしペレルマンにとって100万ドルより一番手に入れたかったものが、数学界で数少ない尊敬できる人物ハミルトン氏からの賞賛だった。”偶然”巡り合えた理想郷と、自己欲求という”必然”性からくる実社会との振れ幅が彼の人生を木端微塵に打ち砕く。
偶然で全てを説明できる人の一生などない。しかし、ペレルマンほどこの偶然と必然の振れ幅に翻弄された人物も少ないだろう。なんとも数奇な一人の男の物語を本書は描いている。
さて、本書の著者マーシャ・ガッセンさんはペレルマンと同じ年代にロシアで生まれたユダヤ系ロシア人だ。さらに、ペレルマンと直接的な出会いはなかったとしても、彼と同じロシア数学エリート教育の環境下で同時代を過ごしてきた。偶然にも登場した同じバックグランドの人物ペレルマンの登場が彼女をして意図的にペレルマンを題材として本書を描くことになった。
人生に必要な能力とは偶然と必然の振れ幅を泳ぎきる能力なのかもしれない。その振れ幅を誰もがコントロールできるわけでもないけれど。
なお、本書の原題は「Perfect Rigor: A Genius and the Mathematical Breakthrough of the Century」です。しかし、本書は英語版と日本語版の同時出版です。著者と訳者あとがきによると、英語版はアメリカの出版社の意向で、ソ連時代の数学界を記述した1章が省かれ、よりペレルマンの人生そのものによりフォーカスがあたっているようです。
完全なる証明
マーシャ・ガッセン 青木 薫
by G-Tools
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿