2014年12月29日月曜日

ベトナムで事業を中止した理由ーその1






2014年末に事業中止を決定した。
事業開始は2013年なので、実質1年程度の事業だったのだが…。



名将 野村元監督曰く、「勝ちに偶然の勝ちあり、負けに偶然の負けなし」だそうだ。事業も同じ。「成功に運の成功あり、中止に偶然の中止なし」と思う。ということで、なぜ事業の中止に追い込まれたのか、つまり儲けられなかったのか。今後のために考えてみようと思う。

今回はそのシリーズ1回目。

なお、事業の「失敗」でななく「中止」という用語を使おうと思う。理由はある先輩社長に「『失敗』と言ってはいけない。今回のことは苦労であり、経験なんだ。」と何度も諭されたので。そのため、「失敗」より「中止」という用語を使おうと思う。

理由1:パートナー、パートナー、パートナー

中止の理由の一つ目はパートナーの問題。海外の商売でパートナーの重要性は耳にタコができるほど聞いてきた。しかし、今振り返ると「分かったつもり」だったのだと思う。

ここで、海外の商売におけるパートナーの重要性の理由を、以下の3つに勝手に集約してみた。結論から述べると、私の場合、第1の点ではパートナーの存在に非常に恵まれたが、第2の点で躓いた。第3の点は可もなく不可もなくで、想定の通りだった。

【海外ビジネスでパートナーが重要な理由】
  • 外国企業(人)ができない商売を可能にしてくれる
  • 現地の言葉や習慣の理解を助けてくれる
  • 現地のネットワークとの入り口になってくれる

外国企業(人)ができない商売を可能にしてくれる。

この部分は海外の商売ならではだと思う。ベトナム含め、海外では外国企業(人)ができない商売がいくつもあり、この規制を切り抜けるために、現地パートナーと組む必要がある。その方法は例えば、共同出資だったり、いわゆるグレーな扱いとなる名義借りだったりする。ここで、外国企業に許可された商売をやることも一案だが、小資本の個人起業家には現地のパートナーと組み外資規制を切り抜けることが、他の日系企業などの新規参入による競争激化から自分を守る上でも必須事項だと思った。つまり、自分にとっての参入障壁は他の会社・人にとっても参入障壁であり、一度この障壁をクリアしてしまえば、今度は自分の商売を守ってくれる貴重な防壁となる。個人で海外で起業するなら、この点でのパートナーの存在は絶対だと思う。

僕自身はこの点は1年だけだが、上手く行ったと思う。いわゆる外資企業が実施できない商売を開始することができ、それに理解を示してくれるパパートナーとの出会いもあった。

逆に、これがいけなかった可能性もある。「これだけのパートナーと信頼関係を結べている人は他にいない。もう大丈夫」と慢心してしまったフシがあることは否定できない。

現地の言葉や習慣の理解を助けてくれる。

これはまさに当たり前の当たり前だ。ベトナムの役所や関連企業とのやり取りは当然ベトナム語だ。ベトナム語ができない自分にとって、日本なら一人で完結可能な電話問合せといった単純作業まで、ベトナム人パートナーの助けが必要となる。すごく当たり前で単純なことだ。

しかし、ここに一つの要素が加わると、非常に難しくなる。そしてこれが回の事業で私が一番苦心した点だ。つまり、この言葉や習慣を教えてくれるのは、共同事業主パートナーも勤まる「バリバリ」のやり手人材なのか、学校を卒業して数年の「これから」人材なのかになる。年齢でいれば、「バリバリ」は30代、「これから」は20代ぐらいといったところだろう。

「バリバリ」人間でも、「これから」人間でも一長一短ある。「バリバリ」人間であれば、経験も豊富で、言葉にも経験からくる説得力のある答えが返ってくる。こちらも「真剣に耳を傾け、その意見を反映していこう」と思える。ただ、本当のバリバリは自分で事業をやっているので、自分の事業に参加してもらえるのは、バリバリの一歩手前ぐらいもしれない。

このバリバリ人材のニクイところは、給与が高い。その人間が採用後にすぐ利益貢献できる商売モデルであればいいが、多くの商売は起業してから売上が立つまでしばらくかかる。その間は当たり前だが会社の持ち出し。バリバリ人間への給与で事業予算が吹っ飛んでしまう可能性も十分ある。

一方、「これから」人材は給与を安くしていいのが、一番ありがたい。ベトナムならそれはバリバリ人材の半額ぐらいで済む。

私の場合はこのタイプの人を業務上のパートナーとして採用した。既にベトナムでの勤務経験もあったので、「自分ならやれる」と思っていたこともあるが、より強く思ったのは、売り上げが立つまでのコストを極力控えたいということだった。

「バリバリ」人材と「これから」人材採用の選択は、場合により、どちらも正しい。私の場合も選択自体に誤りはなかったと思う。しかし、その運用ができなかった。一言で言えば、「これから」人材が語るベトナムの商習慣を素直に聞けなかった。自己弁護すれば、調べた結果に満足がいかない時、再度調べるように指示することが頻繁だった。結局「あなたは私のことを信用していない」というお決まりのフレーズを発した後、相手はふてくされるようになってしまった。

彼女は「これから」人材だから、多くのことを私から学びたかったようだ。一方、私の方はこれまで経験のない商売を始めてしまった手前、全てが手探り状態だった。知らないことを調べる方法を知ることは、商売の中身を知っていることに優るという私の考えと、まずは商売の方法知らなければならないとするその彼女の考え方との間に齟齬が生まれてしまった。

「これから」人材の採用は行う商売に精通している必要があるのかもしれない。しかしこれを受け入れると、本当に限られた選択肢からしか商売を始められなくなる。どんなパートナーとの関係構築がよかったのか、未だにその答えは見つからない。


現地ネットワークとの入口になってくれる。

これも当たり前のポイントだ。ただ私の場合、これは当初からパートナーへ期待していなかったので、事業中止の大きな要因ではなかった。

ただ、少し気になる点もあるので、一緒に記しておおこうと思う。
 現地ネットワークとの入口として、期待される役割の一つは営業力だと思う。しかし、この営業力を現地のベトナム人パートナーに任せて成功した企業・人は少ない。逆に現地マーケットを開拓した成功企業の共通項は、日本人が先頭に立って顧客回りをした企業になる。

さらに言えば、多くの日系企業が苦労する点の一つが現地営業マンの確保だ。日本人が作り手に回り、ベトナム人に営業力を期待するとい考えは、ベトナムでは残念だが有効ではない。日本人がやることを少し後ろから、見様見真似でまねていくのがベトナムスタイルだと思う。

これを自分の事業にあてはめると、最後まで自分が作り手と営業の両方をする状態から抜けられなかったことは、反省すべき材料となる。別の機会で詳述しようと思うが、自分が売り手に回れるオペレーション方法を見いだせなかったことに、今回の中止の原因があったように思う。

やっぱり、パートナー、パートナー、パートナー


パートナーの重要性についての記事を書いてみて、パートナーとの関係構築がどれだけ大事だったか再認識した。一つは事業を可能としてくれたパートナーとの関係が良好だったことは、かなりの幸運に見守られていたと思う。彼と良好な関係ができたことに、感謝したい。

一方で、日常業務のパートナー、採用第一号スタッフとの関係構築に失敗してしまった。未だその関係構築方法の正解は見えてこない。しかしこの点は個人が海外で起業する際、将来の致命傷につながる可能性を秘めていることを、身に染みて分かった。これに対する明確な自分の考えをもてないうちは、起業をしない方がいいのかもしれない。


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