ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)
ダライラマ The Dalai Lama of Tibet
「ダライ・ラマのような人生を送りたいか?」と聞かれたら、何と答えるだろう。「是非」と即答はできないと思う。
ただ、その問いすら問われないまま、「明日からダライ・ラマだ」と言われ、以後ダライ・ラマとして生き続けなければならない運命の人がいる。本書はその人物により書かれた自伝だ。
年齢にして3歳。いきなり、「あなたはダライ・ラマの化身」と言われる。まだ自我もなければ、その重大性など分からない時にだ。勿論、そこに「No」という答えは存在しない。
ダライ・ラマ14世、本名ラモ・トンドゥプ氏はアムド省タクツェルの農家に生まれた。母親は16人の子供を産み、そのうち7人が育った。チベットでは典型的な大家族の家だった。
しかし突然、ダライ・ラマ捜索隊により、ダライ・ラマ14世として発見され、以後ダライ・ラマとして生きていくことになる。その判断材料とは;
- 安置中のダライ・ラマ13世の頭が南向きから北東向きに、向きが変わった。
- 聖湖ラモイラツォの湖面にAh、Ka、Maのチベット文字が浮かぶのを視た。
- 碧青と金色の屋根を持つ3階建ての僧院から一本の道が岡に繋がっている映像を視た。
- へんてこな形をした樋のある小さな家を視た
そして、全権を受け継いだのは若干15歳の時。この時、中国は東チベットに侵入し、翌年には北京へ直接乗り込み毛沢東との話し合いを実施する。チベット解放17カ条協定の調印だ。
そして、ダライ・ラマがインドへの亡命を決意したのは24歳の時。決断した時の様子が本書にも触れられているが、連日のように悩み続けていた。ただ、特徴的なのはその決断に占いの結果が影響していたということ。亡命をしてもよいという占い結果を持って、亡命を決行した。このあたりが、チベットのリーダーだ。
国の今後を決める時にも占いがその決断を左右する。その占いについて、本書の第12章「魔術と神秘について」で1章分を割いて、ダライ・ラマ14世がチベット人にとっての占いについて語る貴重な部分がある。
そこを読むと、全てを認めているわけでもないが、全てを否定しているわけでもないと見てとれる。確かに、「幽霊を捕まえようとした科学者たち 」にもあるのだが、占いを完全に否定することもできない。
本書を執筆したのは1990年、ダライ・ラマ氏が55歳の時だ。それから約22年の月日がたっている。未だ現役として世界を飛び回っている姿に関心をさせられる。
チベット問題は今後も解決しないのだろう。中国の領土問題は必ず「解決しないという解決」を中国は迫ってくる。チベット問題についても同じだ。
これからも1国のリーダーとして、またチベット仏教の最高指導者を勤めていくことになる。ただ、偉大なリーダーの後継者は大変だ。千代のカリスマ性には決してかなわないから。
ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)
ダライラマ The Dalai Lama of Tibet
by G-Tools
0 件のコメント:
コメントを投稿