ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義 (PHPビジネス新書)
藤野 英人
そういえば、「商売」の歴史として日本史を考えたことはなかった。
「ビジネス」ではなく「商売」。ファンドマネジャーが「商売」という用語を使う所に惹かれ、思わず手にとった一冊。
「ビジネス」ではなく「商売」という表現。僕が昔お世話になった社長が、好んで使っていた表現です。その後、出会った多くの社長達も「ビジネス」ではなく「商売」という表現を好んで使っていました。
このあえて「商売」という用語を使う所に、企業経営者に共通した経営哲学が込められていると思います。経営とは泥臭いものだと。だから「ビジネス」ではない。「商売」なんだと。
本書のタイトルは「『ビジネス』の日本史」ではなく「『商売』の日本史」です。残念なことに、本書があえて「商売」という用語を使用したのかは、謎です。この点についてのこだわりの説明が本書内にあるわけでもなければ、泥臭さに触れたものでもありません。
しかし勝手な推測ですが、筆者はあえて「商売」を選んだと思います。筆者藤野氏の過去の著作や公式ブログなどから、泥臭く企業分析を重ねるファンドマネジャーとしてのスタイルが伝わってきます。
自分と似たような考えを持つ人が現代をどう見ているか。読み進めながら、そこに関心は移っていきました。
本書は古事記・日本書紀に登場する「海幸彦・山幸彦」伝説をモチーフに、日本の商売の歴史を振り返ります。
そして、日本の多面性として、「海幸彦(OPEN)」な時代と「山幸彦(CLOSE)」な時代を日本は交互に繰り返している、とするのが筆者の主張です。
目 次: ●はじめに-経済を見る「物差し」を見つけよう プロローグ 日本人の「ウミヒコ」と「ヤマヒコ」のDNAを探ろう 第1章 驚きながらお金と経済を取り入れた日本人----古代から中世の日本人とお金 ・第一講 海の向こうから新しいものがやってくる----遣唐使とお金 ・第二講 マネーサプライを握った平氏----お金から見た源平合戦 ・第三講 内向き政権・鎌倉幕府の興亡----土地への執着の始まり 第2章 覇者の後ろに「お金」があった----中世の政治権力は金融と結びつく ・第四講 欲望を利用し、利用される----足利家はイベンストメントバンカーだった ・第五講 天才・信長の現代的経済政策----人々の欲望が煮えたぎった安土桃山時代 ・第六講 お金と物流を管理する徳川幕府----国を閉じることの功罪 第3章 上に政策あれば、下に対策あり----官の強権と向き合う近世の庶民 ・第七講 江戸三大改革の光と影----名奉行たちの金融論 ・第八講 グローバリズムに飲み込まれた幕末・明治の日本----困った政府の借金踏み倒し 第4章 今を形づくる、明治、昭和の残像----国と個人が向き合い続けた現代の金融史 ・第九講 投資が身近になり、夢とチャンスを紡ぎ出す ・第十講 今の日本に影響を与える「一九四〇年体制」 第5章 日本史から読み解く未来のお金の物語 ・1 経済観察に必要な三つの視点 ・2 お金とは「未来の幸せの缶詰」 ・3 今は日本史の中で珍しい「萎縮の時代」 ・4 私たちが新しい歴史をつくる ●おわりに |
これまで、こんな視点で日本史を眺めたことはありませんでした。源平の合戦を平氏のマネーサプライから考えたこともなければ、鎌倉時代を「山幸彦(CLOSE)」の時代や、足利義満をインベストバンカーに重ね合わせるなど、全くない発想です。
本書は日本史を積極的に海外と交流を持つ時代と、国内整備を優先する時代が交互にスイングする様子を描いていきます。
海外と積極的な興隆を持った平安時代(海幸彦)。その反動として国内整備に主軸を置いた鎌倉時代。明との交易に価値を見出した足利義満は海幸彦時代を演出し、その後山幸彦へ時代は振られ、信長が登場する安土桃山は海幸彦時代へシフトします。その後の江戸(山幸彦)、明治・大正(海幸彦)と、筆者の海幸彦・山幸彦スイング論が日本史に綺麗に当てはまっていきます。
少しずるいですが、筆者は何度か本書内で「専門はあくまでもファンドマネジャー」と断り書きを入れます。史実を詳しく見ていくと、上記のスイング論が当てはまらない部分もあるかもしれません。また、人によりその時代の捉え方が異なる点もあると思います。
例えば、僕が本書で違っていると思った部分は1940年代から現代まで。筆者の見解では「海幸彦(OPEN)」ではなく、「山幸彦(CLOSE)」の時代です。当時は戦時体制や戦後復興では国内整備が優先され、中央集権による統制経済がその基本路線だったことが、その理由です。
一方、日本史上、一番活発に海外との交流があるのが第2次世界大戦以後の戦後復興や今日のように僕には思えます。むしろ、この時代は海幸彦(OPEN)の時代だったのではという疑問です。
筆者の見解を僕なりに推測すると、時代の区切り方が一つのポイントです。1940年以後「昭和」を一気通観で見ると、現代の私たちが接することができる情報量が多すぎ、議論の収束ができなくなってしまいます。この点は「○○時代」と後から歴史家が名づけた時代と、ほぼ同時進行で進む現代を比較する時の悲しい性です。
ここで、景気循環論のクズネッツの波を持ち込んで、1940年以降を20年周期でみると、多少しっくりきます。1940年から1960年は戦争とその戦後復興の国内重視型の「山幸彦(CLOSE)」の時代。1970年~1990年は高度成長とバブル経済を背景に、豊かになった企業も個人も海外へ出て行った「海幸彦(OPEN)」な時代。すると、2000年以降から2020年までは「山幸彦(CLOSE)」な時代?
ところで、筆者の主張は「今日『海幸彦』へパラダイムシフトが起きている」というもの。従い、現在は「山幸彦」ではなく、「海幸彦」である必要があります。ということで、20年周期のクズネッツの波では筆者の主張と真っ向反するという悲しい結果に…。このあたりが、筆者が明確な時代区切りを本書で提示できなかった理由かもしれません。
1930年から新たな時代と区切るか、1940年から30年周期の説明できると、筆者の主張とドンぴしゃりな説明が可能ですが。こういう強引なやり方はご法度だし。
少なくとも僕は筆者の「現在、海幸彦時代へのパラダイムシフトが起きている」とする主張に同感です。筆者の根拠は、地方分権化の起こりや政権交代です。また、勝手な推測ですが、ファンドマネジャーという立場上、肌感覚として日本のお金が世界に出たがっているのを感じているのかもしれません。
僕の場合は現在ベトナムにいるので、日本の国内事情はよく分かりません。しかし、ベトナムで会う日本企業経営者や個人と話していると、海外進出・展開自体は一過性のものではないと感じます。進出先としてのベトナムという意味では一過性の可能性もあり(?)といった不安はありますが。
いづれにしろ、本書が問う「歴史からみた商売としての今」は僕個人には貴重な視点です。
今進行する世界の動きの中から見つめる軸。そして、過去・現在・未来という流れから見つめる軸。この2つの軸を僕自身が現在の立ち位置を決める座標軸にしています。
そういう意味では、本書は僕が持つ座標軸の一つを補強するのに大いに役立った一冊でした。
ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義 (PHPビジネス新書)
藤野 英人
by G-Tools
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